卓球をはじめとして近年ではスポーツ科学など、感覚的な部分を論理的に施行することが増えてきました。このブログでも「卓球を考える」ということをテーマに細々と記事を書いていました。なんだかんだで4年目になっていました、フランです。中断期間があまりにも多い and 記事数もそこまで多くないので、あまり長く書かれているブログの感じがしないです。
 今回は具体的な技術、戦術考察記事ではないですが、考察を行うにあたって個人的に必要な前提を少し論じていこうと思います。何回かにpartを分けて考察します。

 戦術や技術を「論じる」にあたって、明確にしなければいけないこととして

 物事を言語として明確に定義する

とにかくこれに尽きるかと思います。ドライブの定義とはなにか。スマッシュの定義とはなにか。これを他者とも共有できる形で言語化するということが、物事を論じる上で必要不可欠となります。そして、この定義付をするにあたって、主観的要素が入ってしまうことは許されません。

 一見すると定義付されているようにみえても実は十分にされていないということが多々あります。一例として定義の歪曲ですね。特に専門でない分野を論じようとするときに多く認められます。つまり不十分な知識、理解によって歪曲した定義に変換していまうということです。これは言語として明確に定義されていないばかりか、前提がそもそも間違っている誤って考察を行う可能性を秘めています。
 科学、研究というのは、第三者でも客観的に等しく正しく情報を共有できることにほかならず、そこに主観的要素が入ったり、不十分な言語化がなされていると、どんなに素晴らしい内容でも途端に無意味なものになってしまいます。私も極力主観を入れないようにブログを書いているつもりですが、まあこれが難しいです。そうして推敲を重ねるうちにブログの掲載期間が開いてしまうのですね。

 これは医学という現代科学に毎日嫌というほどさらされることによって絶えず意識するようになったことです。客観的に物事を論じれないのであればそれは科学ではなく、また「明確」な定義を打ち出さなければ考察はすすみません。明確に定義を打ち出せられないのであれば、それをはっきり述べる、現時点では不明とすればいいのです。それがlimitationというものであり、limitationがあって科学は進歩し続けており、またlimitationが存在しない論拠は存在しないです。世の中の論者の方は今一度自分の考察内容の大前提を明確に定義付してみてはいかがでしょうか。