この言葉を聞いてピーンとくる方もいるでしょう。
 そう、あのかの有名な某テニス漫画の主人公が最終的に行き着いた究極の境地です。そこにいきついた選手は、すべてのプレイが1ランク上のものとなるいわゆる「ゾーン」のような状態になり、主人公は中学最強だった選手を寄せ付けない完璧なプレイをし、勝利をもぎ取ります。
 
 その天衣無縫の極みにいきつく最後のトリガーは技術的なものでも、仲間のためなどといった絆(悪く言えば自己犠牲の精神)でもなく、「テニスを楽しむ」この一つのみでした。これは漫画のみならず、卓球を含めた全スポーツの真理だと思います。

 大学生最後の大会の終了後、私は部員の前でこれに近いことを最後の言葉として伝えました。
 「卓球は楽しいもの。競った場面などの最終局面で最後に笑うのは、その試合を楽しんでいたものだ。勝ちたいの大前提に楽しいっていうことは忘れないように

 こう抜粋するとえらくポエミーなことを部員に話していますね笑

 とはいえ、この話をした直後の部員の試合。競った場面で、こちらは、体力的なものも原因としてあっただろうが、辛そうに試合を行っていたが、相手側は同じ条件のはずなのに楽しんで卓球を行っており、結果として実力は間違いなく同等、それ以上であったが敗戦してしまった。
 いささかたまたま感、さらにいえば創作話のようにも思えるが、まぎれもない真実の話。

 試合中に最も良いメンタルの状態は、勝ちを意識した「緊張感」と、卓球を楽しもうという「日常感」が同居した時と考えています。緊張感は「非日常感」ともいいますか。
 緊張感が強すぎれば、それがプレイに制限をかけてしまう原因となりえますし、逆に日常感が強すぎれば、それは勝ちへの執着を放棄することになりかねません。この二つの相反する感情が自分の中にバランスよく存在し合ったとき、すべての選手は自分のベストプレイを行うことができると信じています。

 では、この二律背反のものを試合という「非日常の空間」で同居させ、自分の力を最大限に発揮するにはどのようにすればよいか?これに関しては千差万別だと思います。メンタルコントロールの仕方は人によって違うのは当然ですし、その人に合っていればすべてが正解選択肢となります。
 ただ、これではブログの記事として結論を放棄しているので、私の行っていることを最後に紹介して記事の締めくくりをしたいと思います。
 
 私が上記のことを行うためにやっていたメンタルコントロールは主に2つ。1つ目は、練習の時から非日常的な状態を想定しながら行うこと。 つまり、ただの練習試合においても、例えばこの試合で負けたら団体戦での敗北が決定する、などといったプレッシャーを自分にかけて試合を行っていました。また、普段の練習でも、自分の中に絶えずノルマをつけることで緊張感を持ったプレイを絶えず行っていました。このノルマは難しいことじゃなくてもかまいません。たとえば、「今日の練習ではバックドライブを絶対振りに行く」であったり、「チキータだけはミスしない」などといった局所的なものでも構いません。とにかくなんらかのプレッシャーがかかっていること、それが大事です。ラバーにだってテンションかかっているのに自分だけテンションかかってないなんておかしいよ。
 もう1つは、非日常の状態に自分から入れるようにすること。私の例でいうと、練習試合では基本声は出しませんが、本番の試合になると必ず大声を出して試合を行います。これは、「普段とは違う空間、状態」に自分も普段と違う行動を行いながら踏み入れていくことによって、過度な緊張感を減らそうとする目的で行っています。
 また、ルーティンをつくることも非常に大事です。先述したのが、自分から非日常に足を突っ込む行為だとすれば、ルーティン作りは、地獄でも毎日のお茶はかかさないといった非日常の中に日常の行為を落とし込むことで過度な緊張感を防ぐという行為にほかなりません。ルーティンについてはまた後日。
 
 本当の最後に。チーム事情から大学時の団体戦は後半でのオーダーが大半を占め、プレッシャーのかかる試合も多かった私が絶えず口ずさんでいた言葉。

 「ここで勝てば俺はヒーローだ」